1999.12.15更新
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一応私の専門教科,ということになっています。でも,掲載内容は不十分…。どしどしご意見をください。
 皆さんは,「社会科」と聞いてどんなことを思い浮かべられますか?教育関係者でない方(そんな方がこのページをお読みくださるとは思えませんが)の多くは,「暗記教科」というイメージを未だにもたれているのではないでしょうか…?なぜ「教育関係者でない方」と申し上げたかというと,教育関係者であれば10年(いや20年)以上も前から「学習指導要領(文部省)」に示された内容等を御存知のはずですから,この点に関する「誤解」はきっとないだろうと確信申し上げているからです。しかし残念ながら,保護者をはじめとする一般の大人の方々は「ペーパーテストの高得点を目指して,難しい言葉をいっしょうけんめい覚えた社会科」という印象が強く尾を引き,未だにその延長線上でとらえられていることと拝察いたします。
 では,なぜ新しい学力感に立つ社会科の学習が各学校で展開されて始めて久しいにも関わらず,このような現状があるのでしょうか?私の「思い込み」も含めて,様々な原因が考えられます。しかし若輩者の私がうんちくをたらたらと述べても多くの方が気分を害させるだけでしょうから,ここは自信をもってお伝えできる一点にのみ絞ってお話させていただきます。
 私が小学校社会科の学習の中で一番誤解されていると感じるのは,「子どもたちが学習の中で追究する対象」です。これは,意外にも教師でさえ誤解をしている(方がいる)ように思われる問題点です。私は諸先輩方から,社会科はズバリ「携わる人の働き・生き方のすばらしさ」を追究する教科だと学んできました。そして時代が変わっても,この基本的な考え方は普遍だと確信しています。
 しかし,ともすると「現象」「出来事」「事実そのもの」「統計から得られるデータ」などを調べるのみにとどまって,それを成し遂げた人間の働きにまで目を向けずに学習を終わらせている実践が,未だに数多く行われているのではないか,と感じるのです。確かに,子どもが興味・関心を抱く事実やデータは世の中にたくさんあります。それを学習内容に取り上げ,調べていくことが無意味だとは思いません。しかし,しょせん子どもたちには一つの事実に関わる社会的な背景やしくみなどを包括的にあるいは分析的にとらえることはできないのです。抽象的な事象,内容が理解できないままノートへ丸写しした事柄などをいくら学習に生かそうとしても,子どもが「なるほど!分かった!!おもしろかった!!!」という喜びに至ることは困難です。そして多くの子どもたち(例外的な子どももいますが)にとっては,内容に対する興味・関心の持続すら至難の業だと思うのです。これでは社会科が楽しい教科になるはずがありません。子どもたちが家へ帰って,社会科でどんな学習をしているか,目を輝かせながら保護者の方にお話するようなことは起こり得ません。こんな子どもたちをもつ保護者の皆さんが,「丸暗記社会科」のイメージから脱却できないのも無理はないのです。
 やはり子どもは,社会科学習の中で「人間の働き・生き方のすばらしさ」に関わる事象を,より具体的・直接的に追究していくべきだと思うのです。このことは「公民的資質の基礎を養う」という社会科本来の目標にも直結する,「自分自身の生き方を学ぶ」ということにもつながるのです。そうしなければ,すべての子どもが社会科本来のおもしろさや価値を味わうことは難しいでしょう。またそういうおもしろさや価値を味わえないからこそ,未だに新しい社会科学習のよさが子どもの反応を通して世の中に浸透していかないのだと考えます。
 本ページの上欄にあるボタンを押していただくと,私のつたない実践の指導案等が御覧いただけます。少なくとも上に述べたことには留意して取り組んでいるつもりですが,何しろ稚拙な内容です。御意見・御批判をいただければ幸いです。なおこれらのページは,GIF形式のファイルに変換して表示しています。その他の形式のファイルが御入り用な方がいらっしゃいましたら,お知らせください(現在PDF形式での発信はできません)。
※なお,5年「森林資源と国土保全」だけはHTML形式の研究報告書になっています。